選手名鑑

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マイク・タイソン


生年月日:1966年6月30日(40歳)
出身: アメリカ
戦績: プロボクシング50勝(44KO)6敗2ノーコンテスト


宇宙一強いといわれた男、ダイナマイト・タイソン!元WBA・WBC・IBF世界統一チャンピオン


アメリカ合衆国最悪のスラム街ブルックリン地区で不遇な少年時代を送る。幼少期のタイソンは内気な性格だったため近所の少年達にたびたび虐を受けていたという。幼少期から少年期にはいるとタイソンは、自身の強さに気付き非行の道へ進でいった。少年期に、実に51回も逮捕され、ニューヨークでも最悪といわれたトライオン少年院へと収監されてしまう。だが、幸か不幸かタイソンはここでボクシングと運命の出会いを果す。すると、この少年院に訪れていた名トレーナーカス・ダマトの目に留まりボクシングの手解き受ける事になる。

1985年3月6日、18歳でデビューするとタイソンは、破竹の勢いでKOの山を築いていく。しかし、11連勝を飾った直後のタイソンに、親代わりであり人生の師でありトレーナーでもあるカス・ダマトの死という悲劇が降りかかる。タイソンの心が成長しきる前にカス・ダマトは逝ってしまったのだ。もし、カスがあと数年マイク・タイソンの傍にいたら、後にタイソンに降り注ぐ数々の陰惨なできごとはなかったかもしれない。

カス・ダマトの死後も彼の残したボクシングは、タイソンにさらなる勝利を与えた続けた。そして、1986年11月22日、トレバー・バービックを2Rで葬りWBC世界ヘビー級王座を20歳5ヶ月という若さ(ヘビー級史上最年少記録)で獲得した。その後、WBA世界ヘビー級タイトルとIBF世界ヘビー級タイトルを獲得してモハメド・アリ以来分散されたヘビー級の世界タイトルを統一するという快挙を成し遂げる。

マイク・タイソンは、WBC世界ヘビー級王座を取ってから実に9度の防衛に成功するが、その後はカス・ダマトがどんなことがあっても組んではいけないと言っていたドン・キングとタッグを組んでしまう。ここからマイク・タイソンのボクシングと精神の歯車は狂い始めていたのではないだろうか。このドン・キングと組む前の1988年までが、宇宙一強かった時期であり、あのモハメド・アリでも勝てないのでは?と言われたマイク・タイソンの、まぎれもない全盛期であった。

ドン・キングのプロモートを受けるようになったタイソンは、カス・ダマトのボクシング理論を引き継ぎ自分にとって家族同然のトレーナーであるケビン・ルーニーやマネージャーのビル・ケイトンをチームから排除してしまう。無名の頃から自分をバックアップしてきた人間は、タイソンがどんなにスターになろうと口うるさい存在だったのだろう。だからこそタイソンは、利害を超え精神的な部分で向き合えるこのような人達を排除してはいけなかったのだ。

ケビン・ルーニーとビル・ケイトンを解雇したタイソンの周りには、案の定ご機嫌をとるだけの金銭目的の人間達だけがよってきた。完全に心の歯車が狂ったタイソンは、離婚騒動、訴訟沙汰、交通事故、練習不足などで長期ブランクを作った。その後、格下であるフランク・ブルーノと戦い勝つには勝ったが、「カスのボクシングは死んだ。」と言われるほど、愚鈍なボクシングをしてしまう。

さらにタイソンは試合を急にキャンセルするなど様々なイザコザが続き心身共に疲弊していった。そして、ついに日本の東京ドームで行われたジェームス・ダグラス戦で10ラウンドKO負けを喫する。そうするとタイソンの失墜はリングの中だけでは終わらなかった。1991年にレイプ容疑をかけられると1992年に刑務所に収監され3年間の服役を余儀なくされた。

1995年に仮釈放されると再起を果たし再びWBA・WBCの統一王者になるが、以前の一瞬で距離を詰めるスピードと野生のような動体視力、そして計算されつくしたカス・ダマトのボクシングは完全に失われ、一発パンチにたよる単なるファイターになっていた。

統一王者に返り咲いた同年11月には、全盛期のタイソンなら問題にならなかったであろうイベンダー・ホリフィールドにTKOで敗れる。翌年にはリベンジマッチに挑むもホリフィールドの技術に翻弄されフラストレーションを募らせると抑えのきかないタイソンは、ホリフィールドの耳を喰いちぎり3R失格負けになる。

止まらなかった…。1998年に暴行容疑で逮捕される…。2002年にはWBC・IBF世界ヘビー級王者のレノックス・ルイスに挑むも手も足もでず8RKO負け…。2003年は、暴行容疑で再逮捕…。2004年、復帰戦1Rで膝の靭帯を断裂し4ラウンドKO負け…。器物損壊容疑で逮捕…。2005年、復帰戦を行うが、膝の怪我、年齢による身体の衰え、リング外のイザコザからくる精神の疲弊、信じる者のいない孤独感からか、まったく無名の噛ませ犬的選手に6ラウンドでTKO負け喫する。

そして、マイク・タイソンは、ついにグローブを壁に吊るした…。

晩年は苦労ばかりしたダイナマイト・マイク・タイソンであったが、最盛期の彼の強さは本当に別格だった。マイク・タイソンの第二の人生に幸あれ!
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ジェロム・レ・バンナ


生年月日:1972年12月26日(35歳)
出身: フランス
戦績: プロボクシング4勝(3KO)無敗
     K-1&キック 51勝(39KO)12敗2分1ノーコンテスト
     総合 3勝(3KO)1敗1分け



無冠の帝王、K−1の番長ジェロム・レ・バンナ!

1972年12月26日にボクシングのヘビー級フランス王者の父親の元に生を受けると幼少より柔道を始める。その後プロの格闘家を目指しキックボクシングを始めた。

1995年に、まだそれほどメジャーではないK-1に参戦しグランプリ準優勝を果たすが、この頃はまだ線も細く特徴のない単なるキックボクサーというイメージだった。しかし、1998年からK-1を離れてプロボクシングに専念するとボクシングで勝利を重ねK−1時代とは別人のように強くなっていった。

プロボクシングからK-1に戻ってきたバンナは、体重も増えパンチ力も技術も以前とは比べものにならないくらいにパワーUPしていた。強烈なパンチを武器に不沈艦といわれたマット・スケルトンをたった1Rで仕留めると全盛期のピーター・アーツをも左の一撃で葬り、ジェロム・レ・バンナの名前は、瞬く間に日本の格闘技ファンに知れ渡った。

2000年には、極真空手世界王者の看板を引っさげて鳴り物入りでK−1にやってきたフランシスコ・フィリォをボクシングのもっとも基本技であるワン・ツー・ストレートで失神させた。同年7月のK-1 WORLD GP 2000 in NAGOYAではマーク・ハント、ニコラス・ペタス、アーネスト・ホーストといった強豪を次々に撃破し優勝するとこの年のGP決勝トーナメントへの出場権を獲得した。しかし、GP決勝大会直前に体調を崩し無念の欠場。

今、考えるとバンナの全盛期は、おそらくこの辺りであったと思われる。この年に、もしバンナがGP出場していたら、無冠の帝王なんていう不名誉な称号はなかっただろう。

2001年は、K-1 WORLD GP 2001 in OSAKAでオール1RKOで決勝GPへの出場権を獲得する。決勝GPでは、圧倒的な優勝候補とされていたが、準々決勝で伏兵マーク・ハントに痛すぎる2RKO負け喫した。

2002年には、マーク・ハントにKOでリベンジを果たすが、この年のGP決勝でアーネスト・ホーストのミドルキックをくらいバンナの主武器である左腕を粉砕骨折してしまう。粉砕骨折後、不屈の精神で復帰するがジェロム・レ・バンナの代名詞でもあるパワー溢れる左のパンチを失ってしまった。バンナの一ファンとして非常に悲しかった。

その後もK−1を続けているが、かなり衰えが目立ってきた。

そして、今年2007年には、ついに日本人(澤屋敷純一)に負けてしまった。この年のトーナメントでは、準々決勝でチェホンマンを破るも準決勝でシュルトにKO負けを喫した。K−1の番長ジェロム・レ・バンナの引退の日は近いのかもしれない…





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ミルコ・クロコップ

生年月日:1974年9月10日(32歳)
出身: クロアチア
戦績:アマボクシング40勝(31KO)5敗
    K-1 16勝(10KO)7敗
    総合 23勝(16KO)6敗3分け


PRIDE無差別級GP王者、闘う国会議員ミルコ・クロコップ。

1996年にK-1デビュー。相手はジェロム・レ・バンナだった。内容は判定勝ち。1999年にはK-1 GPで準優勝をしたものの最後までK-1のタイトルを取ることができず、どちらかというと地味に強い脇役的選手というイメージだった。

警察官時代はテロ対策特殊部隊に所属しアマチュアボクシングで活躍して40勝(31KO)5敗という好成績を残したがタイトルには縁がなかったようだ。

しかし、総合格闘技のデビュー戦で藤田和之をTKOに葬ると快進撃が始まる!高田延彦がミルコの打撃を恐れてずっと寝たままの猪木アリ状態で引き分けになってしまった試合と有効打ではミルコ、積極性ではシウバと言われたヴァンダレイ・シウバ戦の引き分けを挟んでK-1でもプライドでも連戦連勝の快進撃を続け、ついにアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと王座を争った。この試合は、ミルコがノゲイラを打撃で終始圧倒し、1R終了間際には左ハイキック決め決定的なチャンスもあった。が、しかし、第二ラウンドに不覚にもタックルでテイクダウンをくらい、そのまま腕を取られ無念のタップアウト負けをきっしった。つくづくタイトルに縁のない男だと感じた。

でも、ミルコはあきらめずに頂点を目指した。勝利を重ね、ついにはPRIDE3強の1人と言われるようになっていた。そして優勝候補としてGPに出場した。が、しかし、ミルコはここでもケビン・ランデルマンという格下の選手に不覚をとってしまったのだ!この時僕は、ミルコという人は一生タイトルを取ることができない運命なんだと思ってしまった。

だが、ここでもミルコはあきらめなかった!エメリヤーエンコ・アレキサンダー、ジョシュ・バーネット、マーク・コールマンなどの強豪を次々に倒し、プライドヘビー級タイトルマッチに漕ぎつけた。王者ヒョードルはさすがに強くチャンスはあったが万全のミルコをもってしても崩すことができなかった。でも、この一戦はレベルや緊張感などあらゆる意味でプライド史上最高の一戦だったと思う。しかし、ミルコはここでもまたタイトルに見放されたのだった。

普通の人ならここまでで燃え尽きたかもしれないが、ミルコは不屈の闘志で吉田、シウバを下しPRIDE無差別級グランプリ決勝をジョシュ・バーネットと争い、2006年9月10日、ついに無冠の帝王を返上しプライド無差別級王者になった!試合後のミルコの男泣きには、心が熱くなった。

その後、ミルコはUFCに移籍して1勝したのちKO負けをきっし、さらに判定負けを喫した。そして、先日のDREAM1にて日本に帰ってきて軽く復帰戦を飾った。とにかく、これからも応援します。頑張って!



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